- comme l'ambre -

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映画のオマケに耳を澄ませて ―『素晴らしきかな、人生 / Collateral Beauty』を見て―

 私は映画館で映画を見ることが、やっぱり好きだ。いくらDVDや配信で手軽に映画を見られるようになったとは言え、大きなスクリーンで映画を見ることは格別だと思うからだ。

 しかし、それだけ「スクリーンで見る」ことに拘っていながら、私が実際に映画に感動するのはどんな時か?と言えば、なぜだか「耳から」の場合も多いかもしれない。

 映画を見ていると、時々、スクリーンを目の前にしているにも拘らず、聴覚からの情報が視覚を圧倒してしまうような瞬間に出会うことがある。ある時点までは視覚をフル稼働にしてスクリーンを見ていたのに、心が揺さぶられるようなフレーズが聴こえてきた途端、身体のスイッチがカチッと切り替わって、聴覚の集中力がグワンと増してしまうのだ。すると、ストーリーを盛り立てる脇役であった筈の音楽の存在が、どんどん自分の中で大きくなって、一気に主役へと踊り出てくる。私は、そんな瞬間に出会した時、映画の中に沢山散りばめられたサントラの山の中から、とんでもなくキラキラとした大切な宝物を見つけたような幸せな気分になってしまう。 これは純粋に音楽のみを楽しんでいる時とはまた一味違う、不思議な感覚だ。映画を通じて、大好きな音楽に出会うという体験は、いつも私に幸せな高揚感を与えてくれるのだ。

 今回鑑賞した、ウィル・スミス主演の映画『素晴らしきかな、人生*1も、私に、そんな幸せな瞬間をもたらしてくれた作品だった。

 その瞬間は、エンディングで訪れた。

 ストーリー終盤からの展開に、私は困惑した気持ちを抱えながらスクリーンを見ていた。なぜなら、この映画のキーワードでもある「幸せのおまけ」という言葉を理解するのがとても難しかったからだ。物語が結末を迎えても、「幸せのおまけ」という言葉の意味を咀嚼できないままでいた私は、少しだけ、映画に置き去りにされてしまったような気持ちになっていた。しかし、それでもまだどこかに「幸せのおまけ」を理解する手掛かりがあるんじゃないかと辛抱強く、じっと目を凝らし続けていた。

 と、その時だった。

 ギターを掻き鳴らす短いイントロが聴こえてきたのだ。すると途端に、身体がぴくっと反応して、私の中のスイッチが切り替わった。それが正に、「これだ!」と思う曲に出会った瞬間だったに違いない。

 ほんの少し前まで、頭の中を占領していた疑問は一気にどこかへと追いやられて、音楽と高揚感が一体となって身体の中を駆け巡り、完全に音楽の世界へと没頭してしまった。

 なんとも素敵な曲にすっかり心を鷲掴みにされて感動していると、歌う声が私にとって馴染みのあるアーティスト、ライアン・テダーであることに途中で気が付き、また更に嬉しくなってしまった。

 最初は音楽だけに感動していた筈が、次第にメロディー乗せて、映画の色んなシーンが思い起こされ、最後には、自然と物語に対してもじわじわと感動を覚えてしまった。また、曲を聴いているうちに、私は「幸せのおまけ」という言葉を理解するカギを見つけた気がした。それは、(実際の歌詞とはリンクしない受け取り方かもしれないが、)悩める人の先行きを優しく力強く照らしてくれるようなメロディーに聴こえたからかもしれない。

 OneRepublicLet's Hurt Tonightは、『素晴らしきかな、人生』を〆るに相応しい、力強くて温かくて、そして説得力のあるエンディングテーマだったと思う。

Let's Hurt Tonight (Collateral Beauty Mix)

 それでは、「幸せのおまけ」とは一体何なのか。映画を振り返りながら、もう少し考えてみることにしよう。

 『素晴らしきかな、人生』は、大切な人を失って以来、人生を諦めてしまった一人の男性が、再び人生に復帰するまでを描く物語である。

 

 広告代理店の共同経営者であるハワード*2は、数年前に愛娘のオリヴィア*3を幼くして亡くして以来、完全に人生を捨ててしまったかのように毎日を過ごしていた。辛うじて、会社には出勤するものの、ハワードがオフィスで熱心に取り組むことと言えば、来る日も来る日もドミノだけだった。

 ドミノしかしない共同経営者を抱えた会社の経営状況は、当然ながら、悪化の一途を辿っていた。それならば、ハワードのクビをさっさと切ってしまえば良いのだが、事はそう簡単ではなかった。

 それは、もう一人の共同経営者ホイット*4の浮気トラブルをきっかけにして、ハワードが60パーセントもの経営権を握ってしまっていたからだった。ホイットは、自分の持つ経営権の一部をハワードに買い取って貰うことでしか、離婚にかかる多額の費用を捻出できなかったのだ。

 皮肉にも、自分の浮気が結婚生活を壊すだけに留まらず、会社までも崩壊させかねなくなってしまったことに責任を感じたホイットは、どうにかハワードに共同経営者を退いてもらう為、同僚のクレア*5サイモン*6と共に、日々、どうしたものかと頭を悩ませていた。彼らの必死さ加減と言ったら、離婚問題で散々ホイットを苦しめた天敵の「やり手のオバサン探偵*7」を雇って、ハワードの素行調査をする程だった。

 ホイットの見込み通り、相当なやり手だった「オバサン探偵」は、ある時、ハワードが可笑しな相手に宛てて書いた手紙を入手する。それは、元気だった頃のハワードが、広告事業を行う上で最も大事にしていた3つのもの、≪愛≫≪時間≫≪死≫を非難する3通の手紙だった。

 その報告を受けたホイットは、認知症の母親*8との会話をヒントにして、問題解決の為の突拍子もないアイディアを思い付く。いつの頃からか、母と会話する時は、母の言葉を訂正するよりも母の世界に合わせて会話する方がトラブルにならないことを経験から知っていたホイットは、それはハワードに対しても同じなのではないか、と気付いたのだった。

 そこでホイットは、過去に自分が製作した、擬人化した≪怒り≫が登場する薬のCMに倣って、擬人化した≪愛≫、≪時間≫、≪死≫をハワードに引き合わせようと考える。ハワードにしか見えないという設定の下で対面させて、その様子をこっそりと撮影してしまおうという訳だ。更に映像を加工して、ハワードが何もない空間に話しかけているように見える映像に仕立て上げ、それを取締役会で流せば、ハワードの精神に問題があることが証明され、ハワードは経営権を手放さざるを得なくなるだろうという作戦だった。ハワードの傷ついた心を思えば、なかなか残酷な計画だ。

 早速ホイットは、偶然CMオーディションで出会った俳優のエイミー*9を頼って、3人の役者と契約を交わす。≪死≫を演じるブリジット*10、≪愛≫を演じるエイミー、そして≪時間≫を演じるラフィ*11。果たして、会社を立て直す為の無謀とも思える計画は上手く行くのだろうか。

 こうして、ホイット達の計画により、擬人化した≪愛≫、≪時間≫、≪死≫と対峙することになったハワードが、愛娘オリヴィアを亡くした悲しみを乗り越えて、再び人生に復帰する日までを描く。

 

 そして、ハワードの心を慰める為に登場するキーワードが、例の「幸せのおまけ」、英語ではCollateral Beautyという言葉だ。このCollateral Beautyは、『素晴らしきかな、人生』の原題ともなっている言葉である。

 私がこの言葉を理解し難かったのは先程も書いた通りだが、Collateral Beautyという言葉が日本語で「幸せのおまけ」、『素晴らしきかな、人生』と訳されていることからも、訳者の方の苦心の色が伺えるような気がしてしまうのは、私だけだろうか。

 映画の中でも、この言葉についての意味は特に説明されていなかったと思う。確かハワードの妻マデリン*12が、「『幸せのおまけ』って、きっとこんなことよね」と自分の考えを披露しただけだった筈だ。

 「幸せのおまけ」という言葉が登場するのは、こんなシーンでのことだった。

 数年前、愛娘オリヴィアの死を目前に迎えようとしていたマデリンは、病院の椅子に腰掛けて一人泣いていた。すると、偶々隣に座っていたブリジットが「あなたはどういう訳でここに?」と声をかける。マデリンが、愛娘が死に瀕していることを伝えると、ブリジットが一言こうアドバイスをする、「『幸せのおまけ』を見逃さないで」と。初対面で、しかも悲しみに暮れる人にかける言葉にしては、大胆で不思議な言葉だ。

 そして数年後、マデリンは、人生を捨てた状態のハワードに、数年前に病院で見知らぬ女性と交わした会話のことを話し始めるのだった。マデリンは「あの女性の言葉は経験に裏打ちされた言葉に違いないと思う」と語り、オリヴィアが亡くなって暫く経った後、実際に「幸せおまけ」を感じる瞬間を経験したことも打ち明けるのだった。しかし、ハワードは、マデリンの話を聞いても「『幸せのおまけ』なんてものはない」と端から突っぱね、拒絶するだけだった。

 

 これらのシーンを踏まえて、私なりに「幸せのおまけ」について考えてみたところ、それは、誰にとっても等しく、人生が死と隣り合わせの毎日の積み重ねであるという現実を受け入れることを指しているのではないか、との結論に至った。死というものが、単なる生の断絶点ではなく、「ある人が歩んできた人生が一つの作品として完成する日」、「生きてきたことを称える日」と、受け入れることが出来たなら、一瞬一瞬を覚悟して豊かに生きられるのではないか、と思ったからだ。生きている人間がそういう気持ちで、死者の人生を称賛したなら、死者も安心して胸を張って旅立てるのではないだろうか。

 そう考えると、オリヴィアは亡くなってからの数年間、不安で堪らなかったのではないかと思ってしまう。何しろハワードは、自分が如何に悲しいかということばかりに囚われて、「オリヴィア」と名前を口にすることさえ拒み、自分だけの世界に籠り続けたからだ。そんな状態のハワードが、マデリンが語った「幸せのおまけ」なんてものの存在を信じられないのも当然だろう。

 物語の最後で、マデリンに促されて、ハワードが漸く「オリヴィア」と声に出して愛娘の名前を呼ぶことができたシーンがあったが、あの瞬間から、ハワードは死と隣り合わせの人生を徐々に受け入れ始めたのかもしれない。

 これが「幸せのおまけ」についての現時点での私の考えなのだが。本当に、この『素晴らしきかな、人生』という映画は、なかなか答えが見つからないような、難しいテーマを扱った作品だった。映画を見て「う~ん、これは、どういうことだ?」と、これ程、悩んでしまうテーマを与えられるとは!

 結末の後に、私の耳を釘付けして、心を奪うようなOneRepublicの曲が流れなかったら、私は頭を切り替えられずに、「むむむ?」と唸ったまま、映画館を立ち去らなければならなかったと思う。

 エンドクレジットなんてただただ文字が流れて行くだけの「本編のオマケ」でしかないと、つい軽視しがちだが、オマケの部分でこんな素敵な音楽との出会いがあることもあるんだから、エンドクレジットだって馬鹿には出来ない。

 折角、映画館で映画を見るなら、映画のオマケを見逃したくない。それに折角、生きているんなら「幸せのおまけ」も見逃したくない。どちらも見逃さないようにしたいものだな、なんてことを思ってしまった。

 


OneRepublic - Let’s Hurt Tonight (Official Video)

*1:原題は、Collateral Beauty

*2:演じるのは、ウィル・スミス

*3:演じるのは、Alyssa Cheatham

*4:演じるのは、エドワード・ノートン

*5:演じるのは、ケイト・ウィンスレット

*6:演じるのは、マイケル・ペーニャ

*7:演じるのは、アン・ダウド

*8:演じるのは、メアリー・ベス・ペイル

*9:演じるのは、キーラ・ナイトレイ

*10:演じるのは、ヘレン・ミレン

*11:演じるのは、ジェイコブ・ラティモア

*12:演じるのは、ナオミ・ハリス