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赤毛のレン ―『アラビアの女王 愛と宿命の日々 / ملكة الصحراء 』を見て―

 「間違いない。絶対、そう。ベイトソン!」

 その日、ニコール・キッドマン主演映画の『アラビアの女王 愛と宿命の日々*1を映画館で見た私は、作品への感動も然ることながら、「ベイトソン」との懐かしい再会に少しばかり気分が高揚していた。スクリーンに登場した、赤毛の男性は、私のよく知っている姿からは、いくらか年を重ねていたものの、「ベイトソン」その人にきっと違いなかった。しかし、ちょっぴり不安なのは、ただの他人の空似かもしれないことだった。私はその人のことを「レン・ベイトソンとしてしか知らず、本当の名前を知らなかったため、映画を見終えた直後の段階では、まだ二人が同一人物なのかどうか、100%の確信を持てずにいた。私は一刻も早く、スクリーンに登場した人物が私の知る「ベイトソン」と同じであることを確認したくて、映画館から寄り道もせずに真っ直ぐ、自宅へと急いだ。家の中に入るや否や、一目散にDVDラックへと直行すると、お目当てのディスクを取り出し、早速、再生をした。チャプターをどんどん飛ばして、エンドクレジットを確認する。

 すると…。 

Leonard Bateson   DAMIAN LEWIS

 …との文字が流れてきたところで、一時停止。

 「やったあ、同じ名前。やっぱりベイトソンだったんだ。」自分の記憶が合っていたことがとても嬉しかった。その日初めて、赤毛の男性ダミアン・ルイスという名前の俳優であることを知った。

 『アラビアの女王 愛と宿命の日々』に登場した「ダウティ=ワイリー」も、私のよく知る「レン・ベイトソンも同じダミアン・ルイスが演じていたことがはっきり判って、漸くホッと落ち着いた私は、エンドクレジットの途中で一時停止していたDVDを、今度は反対に、一番頭まで巻き戻して、久しぶりに、ダミアン・ルイス演じる医学生レナード・ベイトソンが登場する『ヒッコリー・ロードの殺人*2をじっくりと鑑賞することにした。

 これは、アガサ・クリスティー原作のTVドラマシリーズ、デビッド・スーシェ名探偵ポワロ*3の中の1作品である。

 という訳で、その日は一日の内に、ダミアン・ルイス出演作品を2作品も見てしまったのだった。

 それにしても、『ヒッコリー・ロードの殺人』を初めて見たのがいつなのか皆目分からないが、それ以来、今の今まで一度も、偶々、ダミアン・ルイス出演作品に出会わなかったとは!

 それでは、レン・ベイトソンへの感慨はこの辺りにして、ダミアン・ルイスがダウティ=ワイリーとして登場する『アラビアの女王 愛と宿命の日々』へと話を移すことにしよう。

 映画『アラビアの女王 愛と宿命の日々』は、20世紀初め頃、ひょんなことから、アラビア滞在生活を始めることになる若きイギリス人女性ガートルード・ロジアン・ベル*4が、「アラビアの女王」として名を馳せるまでを辿る物語である。

 ストーリーは、中東地域の複雑に入り組んだ部族間の対立や、中東を巡る列強各国の進出など、政治的な面を描きつつ、それと同時にガートルードの恋愛模様も描いて行く。アラビアを舞台にした、ガートルードと二人の男性とのラブストーリーは悲しくもロマンティックだ。また、ガートルードがアラビアに魅せられ深く傾倒していく様は、アラビアとガートルードの壮大なラブストーリーでもあるかのようだった。

 アラビア語で紡がれる音楽や、どこまでも続く砂漠をスクリーンいっぱいに映した映像も迫力があり、映画らしい王道の作品という気がして、私はこの映画がとても気に入った。

 そして、兎に角、ニコール・キッドマンが美しい。これに尽きる。ニコール・キッドマンが綺麗な人だなんてことは分かり切ったことで今更言うことでもないのだが、それでも、わざわざ敢えて言っておきたい、と思うくらい、それくらい本当に美しく撮られている。ガートルードが、遺跡探索をしたり、砂嵐の吹き荒れる中ラクダに乗って砂漠を旅したり、沐浴をしたり、ベドウィン*5のシャイフ*6と一対一で果敢にも渡り合ったり、と一々、ひたすらに美しいのだ。この美しさを見るだけでも、一見の価値がある作品なのかもしれない。

 そして、この「美しさ」は目に心地良いだけでなく、実は、ストーリーの起点となるポイントでもあったのではないか、と思う。なぜなら、ガートルードが美し過ぎたこと、これこそが彼女に、学ぶ機会を求めて外国へ行くことを決断させる一因でもあったからだ。

 やはり美しい人には美しい人なりの悩みがあるもので。ガートルードのように容姿端麗な女性が、年頃で独身で、しかも裕福と来れば、当然、男性からのアプローチはひっきりなしだ。ガートルードがしぶしぶながらも、周囲の結婚への期待に応えて一たび社交界に出席しようものなら、沢山の男性の話し相手になったり、ダンスの相手をしたりと、ゴキゲンをとらなくてはならない。しかしながら、ガートルードの努力も虚しく、彼女の外見だけを目当てに近寄ってくるような男性達の多くは、知的な彼女にとって、あまりに退屈過ぎた。そして、とうとう、社交生活を続けることに我慢の限界となったガートルードは、或る時、父親のヒュー*7に「イギリスを離れたい」と懇願する。すると、漸く彼女の希望を受け入れた父は、ガートルードの叔父で在テヘラン・イギリス公使のフランク・ラセルズ*8を頼って、アラビアに滞在することを提案する。こうして、ガートルードは、新天地へと旅立つことになるのだ。

 アラビアに到着して早々、ガートルードに運命的な出会いが訪れる。イギリス生活で出会った退屈な男性達とは違い、ガートルードの御眼鏡に適う、知的で魅力的な男性という訳だ。その運命の人は、三等書記官を務める、ヘンリー・カドガ*9という男性だった。カドガンは、ガートルードの水先案内人であり、先生であり、兄のような人だった。好奇心旺盛で、学問に熱心なガートルードは、中東について知りたいことだらけだ。そんなガートルードに対して、カドガンは遺跡・市場・風土のことから言語・詩・文学のことに至るまで、何から何まで、優しく丁寧に教え、導いてゆく。ガートルードは、知識の豊富なカドガンとの会話が楽しくて楽しくて仕方がないと言った感じだった。社交界で無理矢理に笑顔を作っていた頃のガートルードとは、全くの別人のような笑顔だった。

 そうして、カドガンとガートルードは二人きりで多くの時間を過ごすようになるのだが、二人が登場する数々のシーンの内で、私が一番好きなのは、クロースアップマジックの場面だ。シーンは、或る夜、ガートルードが「トランプマジックを見せて欲しい」とカドガンの元を訪れるところから始まる。マジックの種を知りたいガートルードと、種を秘密にしておきたいカドガンのせめぎ合いが、まるでお互いの気持ちを探っているようにも見えて、じっと見つめ合う二人の表情が何とも豊かで楽し気で、二人の間には素敵な空気が流れていた。特に、この場面の、ニコール・キッドマンの目の表情が、抜群にいい。クルクルと変化する好奇心いっぱいの目つきがとても可愛らしかった。

 やがて二人は恋に落ち、将来の約束まで交わす。しかし、いつまでも続くかのように思えた二人の幸せな関係は、突如、残酷な終わり方を迎えてしまうのだった。

 カドガンとの悲しい別れに、「もう二度と恋はしない」と決意する程、ガートルードは深い深い喪失感に襲われ、彼女はその悲しみを打ち消すかのように、今まで以上にアラビア研究に没頭していく。いつも導いてくれたカドガンを失ったガートルードは、今度は自らが先頭に立ち、供を従えて砂漠地帯を探索、調査する。ガートルードは、従者ファトゥーフ*10を通じてアラビアの人々への理解と愛着を更に深め、時にはファトゥーフの知恵に助けられながら、外国人が近寄らないような場所に住むベドウィン族とも、果敢に交流を深めていく。しかし一方で、こうしたガートルードの目立つ行動は、イギリス軍から疎ましがられ、研究の一時中止を要請されてしまう。

 そんな中、軍の人間であるにも拘らず、ガートルードの研究を理解し、様々な形でのサポートをしてくれる男性が現れる。それが、例のダウティ=ワイリーだ。ガートルードが研究・調査について、ワイリーに報告するうち、自然と惹かれ合っていく二人。ガートルードは、ワイリーへの恋心に戸惑い、躊躇しながらも、ワイリーの存在をとても頼りに思っていた。過酷な旅の最中、例えワイリーと離れていても、心だけは常に彼と共にあると思えば、厳しい状況をも乗り越えられたからだ。

 ワイリーとガートルード、二人が登場する場面で私が好きだったシーンと言えば、ワイリーが「君のために馬を盗んだんだ」と秘密を打ち明けるところだ。単純に君のことが好きだから君の為に何かをしたい、というワイリーの純粋な気持ちが良く表れていて、恋していることが幸せそうで、スクリーンを見ている私まで思わず顔が綻んでしまう、そんなシーンだった。

 しかしながら、またもや幸せは持続しない。最初から二人の間には障害があり、早々と先行きに暗雲が立ち込めてきてしまう。そして遂には、ワイリーとも突然の別れを迎えることになる。

 私生活では、愛した二人の男性との悲恋を経験したガートルードだったが、学問の面では長年の研究成果を認められ、遂にはイギリス政府側の人間として中東地域の安定の為に尽力することになる。

 生涯独身のまま、アラビアに尽くしたガートルードは、アラビアと結婚した女性だった、と言えるのかもしれない。

 ガートルードと二人の男性とのラブストーリーは、とてもロマンティックで美しく、胸を打つものだったが、後から振り返ってみると、どちらの男性との恋も、女性からは嫌われるような展開だった気がしないでもない。見る人によっては、ガートルードはとんでもない女性だ、との感想を抱いても不思議ではないだろう。

 先ず、カドガンとの場合で言うと、ガートルードは、友人フローレンス*11から、カドガンに「ラブレターを渡して欲しい」と頼まれる、という場面があったからだ。フローレンスがどれ程カドガンに恋い焦がれているかを知りながらも、結局はガートルード自身がカドガンと恋に落ちてしまったのだから、フローレンスの恋の邪魔をしたと見られても仕方ない。

 でも一方で、このシーンでは、ガートルードの判断力も凄いと思う。フローレンスの相談にはしっかり乗りながらも、「あなたの代わりに手紙は渡せないわ、心の戦いは自分でしなくてはダメよ。」と出来ないことは出来ないとはっきり断っているからだ。雰囲気に流されて安請け合いしないところが、とても冷静だ。後々ガートルードとカドガンが恋愛関係になる展開を思えば、この時ガートルードが、うっかりキューピッド役を買って出なかったことが、フローレンスにとって、せめてもの救いかもしれない。

 しかしながら、フローレンスが、ガートルードとカドガンの関係を知った後に開かれた夕食会は、とても悲惨なものだった。泣きじゃくるフローレンスを見兼ねて、励ましたいのか、傷つけたいのか、一体どうしたいのかよくわからないラセルズ叔父さんの言動の破壊的なことと言ったら…。ああもう、どうして、ああもズケズケと言うんだろうか。

 けれど実のところ、フローレンスは、ガートルードがアラビアに現れた時点から胸騒ぎがしていたんじゃないか、と私は推察してしまう。それに、「手紙を渡して欲しい」と頼んだ時には本気で相談するというよりも、何とか牽制したかったんじゃないか、とも思えてならない。恋の駆け引きは難しい。

  そして、ワイリーとの恋も、最初から問題大アリだった。何しろ、彼は妻のいる身だったのだから!二人のただならぬ関係を察知した、ワイリーの妻ジュディス*12は、徐々に心を病んで行ったようだが、妻がきっと最初に嫌な予感を覚えたのは、ガートルードを招いて夕食会を開いた時だろう。危険地帯へと旅立つガートルードへの餞別に、ワイリーがプレゼントしたものが、妻にとって大問題だったからだ。夫が何よりも大切にしていた宝物をガートルードに贈ると知った時の彼女の表情が、私は忘れられない。「あなた、それは大事にしていたものでしょ?」と念押ししても、ワイリーは妻の言葉を押し退けてまで、プレゼントしたのだから、ガートルードが如何に特別な女性であるかを印象付けるには十分な出来事だっただろう。妻ジュディスの嫉妬と怒りの入り混じった驚愕の表情が映ったのは一瞬だったが、とても印象に残っている。

 二つのラブストーリーを見て、しみじみ思ってしまうのは、やっぱり人の心なんて、どうにもならない、と言うことだ。どんなにフローレンスが願ってもカドガンの気持ちはガートルードに向いたままだし、例え結婚していてもワイリーの心の中はガートルードへの思いで占められたまま。誰かの「好き」って気持ちを自分だけのものにしておきたい、って願いが、どれだけ果てしなく難しいことか!

 少なくともガートルードの場合は、二人の男性と一時は幸せな時間を過ごした筈にも拘わらず、彼女でさえ「私は恋愛に縁がなかった」というような言葉を日記に綴っていた。傍から見れば、気持ちが通じ合った瞬間があっただけでも幸せだったんじゃないか、と思えるのだが、いざ自分のこととなるとそうもいかないのが人間の欲深いところなのかもしれない。

 ところで私は、ガートルードが、あの皮肉屋の彼とも恋に落ちるんじゃないかと、密かに期待していたのだが、とうとう恋愛関係には発展せずに映画は終わってしまった。あの彼とは、ガートルードを「ガーティ」と呼んだT・E・ロレンス*13のことだ。焚火を囲んでアルコールを煽りながら夜通し語り合ったり、「ガーティ、僕と結婚しないでくれる?」なんて二人で冗談を飛ばして笑い合う姿、とても打ち解け合っていて、意外とお似合いな気もしたが、二人は友人関係のままのようだった。時には友人関係のままでいることも、まあ必要かも。でも、やっぱり、物語的には、ほんのちょっとだけ残念。

 この映画を見て、改めてニコール・キッドマンに見惚れてしまった私だが、彼女のあまりの年齢不詳ぶりには驚いた。だって彼女は、1967年生まれの女優だからだ。40代後半で、ガートルードをデビュタント*14の頃から演じ切るとは、恐れ入ってしまう。デビュタントからカドガンとの出会いに至るまでのガートルードは、本当に若々しかったと思う。外見がスリムだったとか、顔に皺がなかったとか、そういう意味の若さではなくて、表情の演技が非常に若々しいと思った。

 「演じる」にあたって、俳優の実年齢と演じるキャラクターの年齢とが必ずしも一致しなくても良いことを、ニコール・キッドマンは見事に証明してみせてくれた気がした。年齢のギャップがあればある程、見る側のハードルも高くなるし、演じる側の苦労も多そうだが、だからこそ面白い。今回のニコール・キッドマンの演技を見て、素直にそう感じた。

 『アラビアの女王 愛と宿命の日々』、本当にいい映画だった。

 そして、赤毛のレン」とだけ記憶していた俳優にこんな素敵な映画で再会できたこと、ちゃんとダミアン・ルイスという名の俳優だと知れたことも、私にとっては大収穫で、とても嬉しい出来事だった。 

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 Doughty-Wylie, Leonard Bateson and Damian Lewis...

*1:原題は、Queen of the Desert

*2:1995年、原題はHICKORY DICKORY DOCK

*3:原題は、Agatha Christie's Poirot

*4:演じるのは、ニコール・キッドマン

*5:中東地域の遊牧民のこと。

*6:部族の首長のこと。

*7:演じるのは、デヴィッド・コールダー

*8:演じるのは、マーク・ルイス・ジョーンズ

*9:演じるのは、ジェームズ・フランコ

*10:演じるのは、ジェイ・アブド

*11:演じるのは、ホリー・アール

*12:演じるのは、ソフィー・リンフィールド

*13:トーマス・エドワード・ロレンス。演じるのは、ロバート・パティンソン

*14:社交界にデビューすること。