- comme l'ambre -

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インド商人のアリアに誘われて ―『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅 / Der atmende Gott: Reise zum Ursprung des modernen Yoga 』を見て―

 ついこの間まで暑かったって言うのに、最近は朝晩冷えるようになってきて、もうすっかり秋の気配を感じるようになってきたなあ。食欲の秋、読書の秋、等々、色々とあるけれど、私にとっては、何の秋だろう?そうだな、、私にとっては、硬い身体の秋、かな!??って、一体どういうことか、と言うと。

 私はヨガを毎朝の習慣にし始めてもう数年が経つのだが、毎年々々季節の移り変わる今の時期になると決まって、気温の低下と同時に身体も硬くなってくるのを感じてしまうからだ。だから、硬い身体の秋(;・∀・)

 朝の気温が低いと、寒さに負けて、ついつい寝坊しがちになってしまうばかりでなく、どうやら身体まで縮こまってしまうらしい。明らかに、春~夏と秋~冬では、身体の柔らかさが違うのだ。夏の間は、朝一番でも、本当に気持ち良ーく、身体が伸びる。それに対して、秋の朝一番の身体は少し硬い。慣れている筈のヨガのポーズさえもぎこちなくなる。毎朝、その日のモチベーションに応じて大体20~40分くらい、あまり高い目標は掲げないで継続しているが、自分にとって、この時期はいつも正念場だ。楽な方へ楽な方へと流されて、ついヨガの習慣を止めそうになってしまう、そんな時期だ。

 ここ数日は、朝、目覚めた時、「冷えるなあ、もう少し寝ていたいなあ」と思いつつも、どうにか布団から抜け出して、特に簡単で慣れたヨガポーズだけに絞って、取り組んでいる。朝の寒さの所為で、ヨガへのモチベーションがすっかり下がり気味なのだ。でも、ユルユルなペースだからこそ、どうにか数年にわたって、続けることができているのだと思う。

 そんな風に自分なりにヨガに親しんでいる私には、もう一つの別の趣味がある。それは、映画館に映画を見に行くことだ。できれば、週に一度は映画館に行きたいな、と思っている。週の始めに、「さあ、今週は何の映画を見に行こうかな」と映画の上映スケジュールをざっと眺めるのが、もう決まり事のようになっているのだ。今回もいつものように上映スケジュールを見ていると、或る映画館でヨガのドキュメンタリー映画『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅*1を上映しているのを見つけた。一体、ヨガのドキュメンタリー映画とは如何なるものか?ただただヨガを見るだけなのかな?なんだか当たり外れの落差が激しそうな予感、こういうドキュメンタリー映画で退屈だと、とことんまで詰まらなそうだしな。

 でも、もしも「当たり」の映画だったら、つまり、いいドキュメンタリー映画だったら、ちょうど今、朝の寒さでヨガへのモチベーションが下がっている自分を励ますのに御誂え向きの、ピッタリの映画になるかもしれない。映画も見れてヨガも続けられるなら一石二鳥だな、なんて考えて、今回はこのヨガの映画を見てみることにしようと決めたのだった。

 『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』は、ドイツ人のヤン・シュミット=ガレ監督自らが映画に出演し、インドでヨガのルーツを探る取材を行う、という内容だった。この映画では特に、ヨガを全世界へと広める切っ掛けとなった一人の人物、ティルマライ・クリシュナマチャリア氏にスポットを当てて、彼に師事した弟子達、子供達にインタビューを行っていく。そして実際に、シュミット=ガレ監督が弟子達・子供達に教えを乞い、ヨガの実践を行う。

 さて、この映画を見た私の感想は、と言うと。映画を見て以来、私のヨガ習慣が劇的に変化した、と言ったら、分かってもらえるだろうか。明らかに映画を見る以前のヨガと、見た後のヨガでは、全くの別物になったかのように進歩した気がしている。取り組んでいるポーズは以前と変わらないと言うのに。そのくらい『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』という映画に、私は刺激を受けたようだ。

 映画で実践されるヨガの多くは、超上級者向けのものであり、私のようなヨガ初心者向けのものではない。だから、映画を見たからと言って、新しいポーズができるようになっただとか、そういう傍目に分かり易い変化があったという訳ではない。

 映画が教えてくれたのは、超上級者でも超初心者でも、ヨガを行う上で大事なのは、呼吸だということだ。ヨガをすることとは即ち、深く呼吸をすること。そして、深いところで自分を見つめること。更に、呼吸を通じて、心と身体と世界を一体に感じること。呼吸を突き詰めていくことこそがヨガの哲学であり実践なのだと言うことが、私が映画を見て一番に感じたことだ。

 今まで私はヨガについて、その精神世界よりも、エクササイズの一つとして捉えて理解しがちであったかもしれない。しかし、ヨガは実は、心と身体と世界を繋ぐものなのだ。精神世界と切っても切り離せない。エクササイズ一辺倒で考えてはいけないのだ。映画に依ると、正しくヨガを行えば、ヨガはエクササイズとは違って疲労感を感じない筈だ、という内容の言葉が特に印象に残った。

 この言葉を念頭に置きながら、私はいつもと同じようにポーズに取り組んでみた。自分の呼吸に耳を欹てながら、心の中で「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、」とゆっくりと数えて、深く10呼吸する。すると手の指先・足の爪先までしっかりと酸素が行き渡っていくような感覚を覚えた。また同じポーズで10呼吸、繰り返してやってみる。頭の中に響く音は呼吸だけだ。集中する、というのはこういうことを言うのか、とても心地良い感覚だ。

 今までもヨガのポーズで身体をストレッチすることはとても気持ちがいいと感じていたし、当然、呼吸だって普通にしていた筈なのだが、それは浅い呼吸だったのかもしれない。映画で見たように、ストレッチに合わせて、できるだけ深く呼吸して深く深く神経を研ぎ澄ませると、まるで心まで広がったように感じるのか、と驚いた。正に「マット一枚で小宇宙」というヨガの本当の世界に、少しだけ、近付くことができた気がしたのだ。何か特別なことをした訳でも、特別な場所に行った訳でもない、深い呼吸をするだけ。それだけで、精神はどこまでも広げられる、これは人間にしかできない体験なのかもしれない。人には自分自身で心を豊かにできる術がある。うむ、目から鱗である。

 考えて見ると、この映画自体も見ているだけで、まるでヨガをしているような映画だったかもしれない。不思議なことに、スクリーンで、超上級者達の美しいヨガの一連の型・動作を見ていると、自然と背筋が伸びて丹田にしっかりと力が入り、次第に呼吸が整ってくるのを感じられた。ヨガセラピーそのもののような映画だった。

 そして、この映画を素晴らしいものにしている一端には、ヤン・シュミット=ガレ監督の取材姿勢も影響しているのではないかと思った。シュミット=ガレ監督は、取材を免罪符にして相手の聖地に無遠慮に入っていくような人ではないのだ。相手の文化を尊重しながら探求しようとする謙虚な取材姿勢は、映画の説得力を増したと思う。

 また、シュミット=ガレ監督自らヨガの教えを乞い、実践を行うシーンは、単純に見ていて楽しかった。何しろシュミット=ガレ監督は、結跏趺坐、つまり胡坐も出来ない程、身体が硬いのだ。胡坐をかいてひっくり返るほど身体の硬いシュミット=ガレ監督が、一生懸命ヨガに取り組もうとしている。指導してくれるのはヨガのレジェンド的指導者達だ、貴重な場面を映像に記録し観客に見せてくれている。映画前半では、ぎこちなかったシュミット=ガレ監督のヨガも、後半では、なかなか様になっていた。ヨガは誰でも取り組むことが出来るものであることをシュミット=ガレ監督自身が証明して見せてくれたと言えるだろう。

 あっという間の、心地よい105分だった。映画を通じて、ヨガの神髄を少し垣間見ることが出来て、最初の狙い通り、私のヨガへのモチベーションも上げられた気がする。映画にいい影響を受けて、これからも毎朝のヨガを続けて行けたらいいなと思っている。ヨガを続けて、身体も心もコントロールできる人間になれたら、どんなに嬉しいか。先ずは呼吸から整えて、身体と心の健康を見つめたいと思う。

 ところで、また私は、映画を切っ掛けにして、曲の聴き比べに嵌りそうだ。(まあ、これは毎度のパターンなのだが。)今回は、やはり、ニコライ・リムスキー=コルサコフ歌劇『サトコ』からインド商人のアリアだ。このアリアは、トミー・ドーシー楽団などの往年のビッグバンドが演奏したSong Of Indiaとしてご存知の方も多いかも知れない。インド商人のアリアが、ヨガの映像と上手い具合に合っていたなあ。あの印象的な旋律が、まるで呼吸の流れのようにも聴こえてくるじゃないか。


映画『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』予告編

*1:2012年、原題はDer atmende Gott: Reise zum Ursprung des modernen Yoga(独)/Breath of the Gods - A Journey to the Origins of Modern Yoga(英)

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