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- comme l'ambre -

2015年12月1日開設

口の中が鉄の味 ―『レヴェナント 蘇りし者』を読んで―

映画 読書

今年、公開されたレオナルド・ディカプリオ主演の映画、『レヴェナント:蘇りし者*1。この映画原案となったマイケル・パンク『レヴェナント 蘇えりし者*2を読み終えたので、今回はその原案作品についての感想も合わせて書こうと思う。

レヴェナント 蘇えりし者 (ハヤカワ文庫NV)

  

私がこの映画を見たのは5月頃。

映像から伝わってくるパワー、音楽の良さ、そしてディカプリオを始めとする俳優陣の素晴らしい熱演に圧倒されて、スクリーンで見て本当に良かったなあ、と大感動した作品だった。

 

舞台となるのは、白人と先住民の対立が激しかった頃のアメリカ

主人公は、毛皮ハンターのヒュー・グラス*3。彼は瀕死の重傷を負い、仲間達に山中に置き去りにされた上、息子ホーク*4まで殺されてしまうという災難に見舞われる。だが、グラスは驚異的な生命力によって、自力で生還し復讐に向かう、という壮絶な物語。

しかも、この作品は壮絶さに加えて、冒頭から人間にグサグサと矢が刺さるという展開で始まる、何とも血生臭いストーリー。その血生臭さと言ったら、ただただスクリーンを見ているだけなのに、口の中に鉄の味を連想し感じてしまう程。

余りの血生臭さに、今後DVDがリリースされても、何度も繰り返して見ることはない作品だろうなあ、と思っていた…のだけれど。偶々、本屋さんで原案本が陳列されているのを見かけると、ついつい手に取り、衝動買いしてしまい…再び血生臭い世界観を味わってしまった、という訳だった。

本当に文章だけでも充分過ぎるくらいに血生臭かった

やっぱり人は、映像がない方が、より想像力が逞しくなるのかな。

特に、ヒュー・グラスがグリズリー*5に出会し襲われてしまうシーンなどは、映画よりももっともっと痛みや血生臭さを感じてしまって、結局、口の中に鉄の味を連想してしまった。

 

本を読み終えてみて。

率直に「映画と原案、意外と違う点が多いな」というのが一番の感想。

しかも、物語の本筋に密接に関わってくるような大事な部分の設定や、結末さえも異なるので驚いた。

勿論、原作が映画化されるにあたって、設定が変わるのは、往々にしてよくあることだとは思うのだが。

それにしても、かなり大胆に変えたな、という印象だ。

 

少しだけ、例を挙げてみると。

  1. ヒュー・グラスの家族構成と「息子殺し」について。(映画)
  2. ジム・ブリッジャーの立ち位置。
  3. ヒュー・グラスがジョン・フィッツジェラルドに最終的にどう復讐するのか、という点。
  4. ヒュー・グラスを助けるフランス人の存在。(原案)
  5. 結末。 

ざっと大きな部分での違いは、こんな感じ。

ね?どれも案外、大事な点では?こんなに違ってていいのかな?って。

 

なぜ、こうも変えていいのか。

それは、そもそもこのヒュー・グラスという人が、実在の人物には違いないのだけれど、彼に纏わるストーリーは歴史と伝説が入り混じって伝承していて、はっきりと確認されている事実は、以下の点だけだからだ。 

1823年、ロッキーマウンテン毛皮会社のヒュー・グラスが斥候中にグリズリーに襲われたこと、そして、瀕死の重傷を負ったこと、グラスが同僚たちに置き去りにされ、グラスの世話をするために残された二人の隊員にも見捨てられたこと、その後、グラスが生き延び、復讐のために壮大な冒険の旅にでたこと

マイケル・パンク著、漆原敦子訳『レヴェナント 蘇えりし者』早川書房、2016年、p.394

つまり、その他の点に関しては、色んな歴史学者によって議論の余地があるという訳。 

(ということは、「大河ドラマ」的なものって考えていいってことなのかな。例えば、ジェームス三木版と三谷幸喜版があるみたいな?違う?)

 

1). ヒュー・グラスの家族構成と「息子殺し」

映画では、ヒュー・グラスの妻は先住民の女性で、息子のホークは「白人と先住民の間に生まれた子」という出自の所為で、ジョン・フィッツジェラルド*6から目を付けられ疎んじられていた。

このヒュー・グラスの家族構成は、原作とはかなり違うものになっている。

映画化にあたってのこの設定変更は、ストーリーをよりドラマティックに盛り上げる為のものだろう。

グラスの息子を登場させることで「復讐」の色合いがより一層濃くなるし、更に、ヒュー・グラスの妻を先住民と設定したことで、グラスが先住民とも、ある種、分け隔てなく付き合える人間性の持ち主であることも自然と強調できる。

 

2). ジム・ブリッジャーの立ち位置

ジム・ブリッジャー*7という人物は、映画でも原作でも、まだあどけなさの残る頼りない少年のようだったが、歴史的には、かなりはっきりと名前の残っている人物らしい。

ジム・ブリッジャーは、生還したヒュー・グラスに許された後、ロッキーマウンテン会社内でも成功を収め、更に新規事業にも乗り出し、様々な業績を残したそうだ。それを示すように彼の名前の付いた土地が沢山あるらしい。

今日、西部のいたるところに、ブリッジャーの名前にちなんだ山や川や町がある。

マイケル・パンク著、漆原敦子訳『レヴェナント 蘇えりし者』早川書房、2016年、p.399

そして映画では、「グラス置き去り事件」に関して、グラスよりも寧ろアンドリュー・ヘンリー隊長*8の方がジム・ブリッジャーに激怒していたくらいだったが、原作では、ジム・ブリッジャーはグラスから激しい報復を受けることになる。

原作におけるグラスのブリッジャーへの反応は、映画で見せた程、寛容ではないのだ。

 

3). ジョン・フィッツジェラルドへの復讐 

原作と映画との様々な違いのうち、私が最も驚いたのは、ヒュー・グラスの仇敵ジョン・フィッツジェラルドについてだ。

ジョン・フィッツジェラルドについてはほとんど知られていない。フィッツジェラルドは確かに実在し、ヒュー・グラスを見捨てた二人のうちのひとりだと広く考えられている。

マイケル・パンク著、漆原敦子訳『レヴェナント 蘇えりし者』早川書房、2016年、p.399

憎たらしくて狡猾で粗暴な男、ジョン・フィッツジェラルド

実は、彼に関しては、ヒュー・グラスを見捨てたということ以外は殆ど知られていない人物なのだとか。これにはちょっと驚きだ。

グラスを見捨てた2人のうちの一人だった。

たったこれだけの情報で、あそこまでの人物像を作り上げたのだから、マイケル・パンクという原案者の凄さをまざまざと感じてしまう。そして原案者の作り上げたジョン・フィッツジェラルド像を素晴らしい演技で魅せたトム・ハーディも凄かった。

ジョン・フィッツジェラルドがとても灰汁の強い人間として描かれているから、『レヴェナント 蘇えりし者』はこれ程までに面白い作品になった、といっても過言ではないように私は思う。

映画では、ヒュー・グラスとジョン・フィッツジェラルドの一騎打ちがクライマックスシーンだったが、原作では何と裁判シーンとなっている。

クライマックスシーンが裁判シーンになった理由には、原案者のマイケル・パンク氏が元々、国際貿易法を専門とする法律家であることが大いに関係しているのかもしれない。

映画は映画で、自然の中での決闘が見応えがあったが、原作の裁判シーンもとても面白い。

グラスとは正反対に、きちんとした身なりで出廷するジョン・フィッツジェラルドは、生来の狡猾さをひた隠し、如何にも礼儀正しくしている。それが、また憎たらしいのだが、悲しいことに、フィッツジェラルドの本性を見抜いているのはグラスだけ。裁判長でさえもフィッツジェラルドに丸め込まれてしまっているという始末。

グラスの気持ちを思えば、本当にやりきれないシーンになっている。

 

4). グラスを助けるフランス人

原作の方では、グラスは生還・復讐の旅の中で2度にわたって、フランス人カイオワ・ブラゾーという男に助けられることになる。

一度目は、アンドリュー・ヘンリー隊長達の元に戻る生還の旅の途中で。2度目はジョン・フィッツジェラルドとの裁判の後で(残念ながら、判決はグラスが望むような結果ではなかった為、グラスには助けが必要だったのだ。)。

映画に出てくる交易商のフランス人達は、先住民に対して非常に野蛮な振る舞いをしていたが、原作に登場するフランス人達はグラスの敵ではなく味方だ。

 

ところで、私は原作に登場したフランス語の歌のことが少し気になっている。 

おまえはおれの旅の仲間

おれはカヌーのなかで死にたい

川岸の墓石の上に

おれのカヌーを伏せてくれ

マイケル・パンク著、漆原敦子訳『レヴェナント 蘇えりし者』早川書房、2016年、p.259

これをフランス語にすると。

Tu es mon compagnon de voyage

Je veux mourir dans mon canot

Sur le tombeau près du rivage

Vous renverserez mon canot

この歌の一節は 「聞き慣れた歌」として紹介されているため、実際にある歌かもしれないと思って調べたところ。Mon canot d'écorceという歌なのかもしれない?と思っている。しかし、ちょっとはっきりしない。(もしかしたら違っているかもしれない。)

1823年頃の聞き慣れた歌ということは、これは民謡のようなものなのかもしれない。

(もし正しい情報をご存知の方がいたら教えて頂きたい。)

Youtubeでもこの歌らしきものを聞くことができた。

 

5). 結末

そして結末へ。

もしかしたら映画の結末の方がはっきりとしていて好きな人が多いかもしれない、どこか勧善懲悪的な感じで。とは言え、映画ラストカットのヒュー・グラスの表情からは、復讐を果たしても息子を失った悲しみは癒えないし、割り切れないような気持ちが見えるような気もした。

一方、原作では、グラスは、カイオワ・ブラゾーから復讐を果たすことを考え直すように説得されて、自分を見つめ直すことになる。

耳の聞こえない者とは、耳を傾けようとしない者のことだ。あなたは何のために辺境に来たのですか?」カイオワは強い口調で訊いた。「けちな泥棒を追いかけるためですか?あなたにはもっと別の目的があったのではないかと思いますが」

マイケル・パンク著、漆原敦子訳『レヴェナント 蘇えりし者』早川書房、2016年、p.385

 

 

という訳で、以上が、原作と映画の大きく異なっていた点。

こうして書いてみると、やはりもう一度映画を見直すべきかもしれない…血生臭くて嫌だけど(+_+)

折角読んだから、もう一度見比べてみようか(ー_ー)!! 

 

おまけ。

実は私、なぜか、いつもいつもディカプリオの出演作品を劇場で見るタイミングを逸してばかりだった。

殆どがDVDで観賞したものばかり。

考えてみると、ディカプリオの出演作品を映画館で見るのは、『マイ・ルーム*9以来。自分でも驚きだけど、20年ぶりにスクリーンでディカプリオを見た訳だ。

そして20年ぶりにスクリーンで見たディカプリオの『レヴェナント:蘇りし者』は、とんでもなく素晴らしい映画で、ディカプリオも勿論凄かった。

ディカプリオ演じるヒュー・グラスは首元を掻っ切られるという重傷を負っているため、言葉を発さず、唸るだけ、目の動きだけ、という場面が長く続いた。

そのグラスの目に、演じるディカプリオの目に、自然と引き込まれてしまった。

言葉なんていらないな、って程。

グラスの目の表情だけで、その苦しみや痛みが伝わってきて、見ていて、喉が詰まった。

全身でグラスの気持ちを感じられるような映画だった。

これぞスクリーンで見るべき映画という感じがして、今回ばかりは上映期間を逃さなくて、本当に本当に良かった!

(本もオススメ!)

*1:原題は、The Revenant

*2:原題は、THE REVENANT

*3:演じるのは、レオナルド・ディカプリオ

*4:演じるのは、フォレスト・グッドラック

*5:北アメリカの森林に住む灰色熊のこと。

*6:演じるのは、トム・ハーディ

*7:演じるのは、ウィル・ポールター

*8:演じるのは、ドーナル・グリーソン

*9:1996年、原題はMarvin's Room